■花見桜に憑いた怨霊!依頼者が気付かなければ家族が死■現場から離れた場所に憑く怨霊【滅】四乃四四
2010年 04月 07日
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無免許でバイクを運転し己は疎か彼女すら怨霊に憑かれ事故死した少年の怨霊。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。この写真は退魔の儀を行っていないため非常に危険でありコピペ厳禁!
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少年の「救い」を求めて出された手。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。この写真は退魔の儀を行っていないため非常に危険でありコピペ厳禁!
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死の間際のまま顔を手で覆い隠した少女の怨霊。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。この写真は退魔の儀を行っていないため非常に危険でありコピペ厳禁!
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依頼者が「解らないものが写っている」と言われた写真。
四角い白線の中。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。この写真は退魔の儀を行っていないため非常に危険でありコピペ厳禁!
人は突然Acute suicidality(自殺衝動)に駆られる場合がある。
高い場所に立てば「飛び込みたい」「吸い込まれそう」と思うことである。経験したことがある方も多いはず。
アメリカ国立精神衛生研究所の発表によると「自殺を完遂した人達の内の90%に何らかの心の病が見られる」と発表しているが根本的な解決策は未だに無い。
アルバート・ケイマスが「我々には自殺と言う深刻な哲学的問題がある」と言っているものの地球上の生物の中で唯一己の延命するための医学を作り上げた人類は「己の手で命を奪い去る動物でもある」ことをどうして説明出来るのであろう。
現代の脳科学では5%しか脳の働きが解っていない。
それを「躁鬱病だ」「分裂病だ」と理屈を付けることは「蛙が鳴いたので明日は雨だ」と言うことと何ら変りは無い。
また同じ場所で同じ自殺衝動が起きることの説明もつくはずもない。
それを仏の世界では「無癡」と言う三毒の一つである。
さて今回は花見に行った依頼者が「写真に解らないものが写っている」と言う相談から真言密教僧殊慧が真実を熹り出した例をお話ししたい。
人は自殺する場合は「心の落ち着ける場所」を人生の終焉とする傾向がある。
故に滝や湖、桜の公園などでの自殺は多い。
警察白書によれば「自宅」1万7,213人(53.5%)、「乗物」2,948人(9.2%)に次いで「海(湖)・河川」1,746人(5.4%)、「山」1,707人(5.3%)と心の拠所での自殺が多く、自宅に至っては「そこが自殺する者の心安らげる自然」であり、車も同じである。
このように憊汨(悲しみ)や丐辣(苦しみ)を持ち死んだ者達は闕蘊(彷う魂)となり人に憑く。
それを「縊れ鬼」と昔の方は言っていた。
無償に死にたくなるのは憑かれているためである。
時には自動車やバイクを運転中に取り憑かれ横死(不意の死)を迎える方も多い。
見通しの良い場所にも関わらず事故死が絶えないにはそのためである。
このように取り憑かれた者の闕蘊(彷う魂)は事故現場から離れた場所に憑くことがある。
「目的地」を持っている場合だ。
それが今回の写真である。
バイクの免許も持たず少年と後部座席の少女が怨霊に憑かれ事故で即死し、目的地の桜の公園に棲み憑いてしまったのである。
この怨霊と化した少年と少女は自分達が「死んだ」ことを解らず瑕苦(痛み)が残り助けを求め続ける。
故にこの怨霊を写した多くの方は事故死する。
それが永久に刳り返されるのである。
このような場合は真言密教の五蘊(色(形)・受(情け)・想(思い)・行(行い)・識(考え))を捨てるしかあるまい。下手に哀憫すれば禍しか齎されないからである。
怨霊に受(情け)など無用!
倒れてる墓や地蔵など抛っておけ!
取り憑かれれば最悪「一家全員」死ぬ。
by 殊慧