■一匹の怨霊が一族を滅ぼす!金に執着し人を猖わす霊能者を狩ることにした■全殺】四乃四四
2011年 08月 20日
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依頼者の親に憑いた怨霊。
此れは蛇を殺生し「筋」となり鎮めようとして憑き殺された縁者の怨霊。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。異蘊(魂)を滅しているが残った恨みが留まっておるのでコピー厳禁。残った旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)を鎮めるのは其処等の僧侶の役目であるため退魔専門の真言密教僧殊慧はしない。既に10万人の無視視したアホタレ者が死亡しているためだ。
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問題の写真。
映り込みに見えても取り憑かれた者と此れは明かに違う。
取り憑かれた方は口を閉じておるが、テーブルの其れは口を開き呪いの言葉を吐いておった。
プライバシーのため目を隠しているが全くテーブルの目と違う。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。異蘊(魂)を滅しているが残った恨みが留まっておるのでコピー厳禁。残った旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)を鎮めるのは其処等の僧侶の役目であるため退魔専門の真言密教僧殊慧はしない。既に10万人の無視視したアホタレ者が死亡しているためだ。
因縁に左右される五蘊(色(形)・受(情け)・想(思い)・行(行い)・識(考え))持たず、六情(喜・怒・哀・楽・愛・悪)持たず、七情(怒・喜・思・憂・悲・恐・驚)持たずれば如何なる不昧にも屈せぬもの也。
光と言う「縁」にて色(かたち)見え、無くなれば色(かたち)失せ、誰も其れ昼と夜と呼び恐れておらん。
故に紕懼(恐れ)も無く、憊汨(悲しみ)も無く、瑕苦(痛み)も無い。
万象の理(ことわり)荼阿赧(体)に剞めば嵒(やま)の如く動かず。
真言宗総本山金剛峯寺が焔煆に燃えようと「寺」に真理の圜礙(こだわり)在らず膏を塗って更に燃やす。
鄙懐に感けた仏法の堕ち簸れ微塵も無し。
悉多(心)一切無く金剛不壊とすれば根本四苦「生」「老」「病」「死」の煩悩も消え失せる。
金・権力・名声などと婬けたことに現を吐かす事無し。
「救い」を冀めぬ衆生は「仏」に縁無きとし慈悲施すことも無し。
因業輪廻にて産れた有情(生きとし生けるもの)全て「悟る」まで丐辣(苦しみ)続く掟め也。
抛ることも救うことも慈。
圓(生)陰(死)関わらず差別(しゃべつ)せず。
圀(くに)を衞るなどの柵非ずんば仏は死なず。
寺を護るために居ず。
幾く万もの蛆集りな躯在れど鼻根無く臭うこと無し。
救いを冀めねば慈悲施すこと無し。
此れ真言宗の基礎である。
さて今回は一匹の瞋蘊(怨む魂)が一族を滅亡させる話しである。
クソ霊能者は元兇怨霊の氣すら感じること無く、雑魚な怨霊を追い祓うだけで何も解決しない。
金に圜礙(こだわり)して贅に贅を重ね有漏(煩悩を有する)にて仏の力を授からないからである。
無明(物事の真実を知らない)にて禍根を一撃のもと滅することが出来ず、数千兆匹の怨霊すら滅することも出来ず徒々奸知な瞋蘊(怨む魂)に弄ばれ自ら魍(もの)と化すもの也。
金に圜礙(こだわり)すことが何よりの証拠。
六触身(眼触・耳触・鼻触・舌触・身触・意触)と呼ぶ外界との接触にて理(ことわり)を偸えることを棄て去れず臠(にく)にて得る事(ことなり)等何の足しにもならん。
金だけ摂り何もなさない詐欺と同じ。
故に怨霊の数は減らん。
クソ霊能者狩りでも行うか。
暇潰しに。
たった3000万人しか狩れんがな。
死にたくなければ真言密教僧殊慧に牙を剥け。
剥けば大陸ごと全住民諸共海に沈めてやる。
・゜゜・└(´〆。。〆`)┐ ウッシャッシャッシャッシャ
by 殊慧(しゅすい)