■世界中で怨霊激増にて弱い者(子供やお年寄)が多数憑き殺される!縁無き者は救わず■慈】四乃四四
2011年 08月 12日
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真言密教僧殊慧が教えた簡単な儀を行わず怨霊に引っ張られている子。
左手が異様に伸び、足も関節が在らぬ方向に変形。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。異蘊(魂)を滅しているが残った恨みが留まっておるのでコピー厳禁。残った旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)を鎮めるのは其処等の僧侶の役目であるため退魔専門の真言密教僧殊慧はしない。既に10万人の無視視したアホタレ者が死亡しているためだ。
因縁に左右される五蘊(色(形)・受(情け)・想(思い)・行(行い)・識(考え))持たず、六情(喜・怒・哀・楽・愛・悪)持たず、七情(怒・喜・思・憂・悲・恐・驚)持たずれば如何なる不昧にも屈せぬもの也。
光と言う「縁」にて色(かたち)見え、無くなれば色(かたち)失せ、誰も其れ昼と夜と呼び恐れておらん。
故に紕懼(恐れ)も無く、憊汨(悲しみ)も無く、瑕苦(痛み)も無い。
万象の理(ことわり)荼阿赧(体)に剞めば嵒(やま)の如く動かず。
真言宗総本山金剛峯寺が焔煆に燃えようと「寺」に真理の圜礙(こだわり)在らず膏を塗って更に燃やす。
鄙懐に感けた仏法の堕ち簸れ微塵も無し。
悉多(心)一切無く金剛不壊とすれば根本四苦「生」「老」「病」「死」の煩悩も消え失せる。
金・権力・名声などと婬けたことに現を吐かす事無し。
「救い」を冀めぬ衆生は「仏」に縁無きとし慈悲施すことも無し。
因業輪廻にて産れた有情(生きとし生けるもの)全て「悟る」まで丐辣(苦しみ)続く掟め也。
抛ることも救うことも慈。
圓(生)陰(死)関わらず差別(しゃべつ)せず。
圀(くに)を衞るなどの柵非ずんば仏は死なず。
寺を護るために居ず。
幾く万もの蛆集りな躯在れど鼻根無く臭うこと無し。
救いを冀めねば慈悲施すこと無し。
此れ真言宗の基礎である。
さて今回は世界中で起っている怨霊による憑き殺しの増加の話しである。
数千件の退魔依頼を抱えておる真言密教僧殊慧は徳を積むべく一切無料。護符は依頼者の「業」や「怨霊」によって最適な璽を手書きし、送料も真言密教僧殊慧もち。
此れが真の神仏に遣える者の勤め。
金に圜礙(こだわり)しては徳を失うもの也。
徳がなければ如何に「何十年も神仏に遣えておる」と虚勢を張ったところで金と言う人の旁りし最大の魔障の手先となり神仏の力を得ない。
さてさて怨霊が激増しておる昨今に於いて真言密教僧殊慧が退魔依頼を受け護符を送り「教えた簡単な儀」を行わなければ拿応護摩壇に文殊菩薩除魔除禍真言護符で包み、須弥壇に身代わり人形を祀っておっても怨霊に憑かれ死は免れはするものの一生不具者となるやもしれん。
写真の子は簡単な儀を行わないときが多く「怨霊に引っ張られている」状態。
不思議な病に罹り医者に看てもらっても「異常無し」で追い返されたそうだ。
怨霊を理由付けでしかない科学や医学ではどうすることも出来無い。
真言密教僧殊慧と縁あって御守に入れる札を書いて送ったが親には送らない。
其れ此の子の親は慈悲を施すほど駄楽気てしまうからである。
此れも仏の慈悲。
縁無き者は何十億匹死んでも真言密教僧殊慧に呵責は無し。
by 殊慧(しゅすい)