■自殺した縁者が怨霊になり一族を滅亡させる!憐な死に方をした者忘れるなかれ■破】四乃四四
2011年 08月 01日
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自死(自殺)若しくは事故死した女の縁者の怨霊。
右肩に手を置いているが、首を常に絞めている。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。異蘊(魂)を滅しているが残った恨みが留まっておるのでコピー厳禁。残った旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)を鎮めるのは其処等の僧侶の役目であるため退魔専門の真言密教僧殊慧はしない。既に10万人が無視した者が死亡しているためだ。
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上記の女の怨霊が惹き寄せた男の怨霊。
直立した男の怨霊と顔だけの怨霊の2匹。
どちらも病死。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。異蘊(魂)を滅しているが残った恨みが留まっておるのでコピー厳禁。残った旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)を鎮めるのは其処等の僧侶の役目であるため退魔専門の真言密教僧殊慧はしない。既に10万人が無視した者が死亡しているためだ。
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依頼者の頭を蔽う骸骨。
依頼者に頭痛を与える。
此の侭放置しておけば脳の病にて倒れていたであろう。
最悪「死」。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。異蘊(魂)を滅しているが残った恨みが留まっておるのでコピー厳禁。残った旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)を鎮めるのは其処等の僧侶の役目であるため退魔専門の真言密教僧殊慧はしない。既に10万人が無視した者が死亡しているためだ。
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問題の写真。
彊々な旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)を持つ瞋蘊(怨む魂)に取り憑かれておる場合は写真が暈ける。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。異蘊(魂)を滅しているが残った恨みが留まっておるのでコピー厳禁。残った旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)を鎮めるのは其処等の僧侶の役目であるため退魔専門の真言密教僧殊慧はしない。既に10万人が無視した者が死亡しているためだ。
因縁に左右される五蘊(色(形)・受(情け)・想(思い)・行(行い)・識(考え))持たず、六情(喜・怒・哀・楽・愛・悪)持たず、七情(怒・喜・思・憂・悲・恐・驚)持たずれば如何なる不昧にも屈せぬもの也。
光と言う「縁」にて色(かたち)見え、無くなれば色(かたち)失せ、誰も其れ昼と夜と呼び恐れておらん。
故に紕懼(恐れ)も無く、憊汨(悲しみ)も無く、瑕苦(痛み)も無い。
万象の理(ことわり)荼阿赧(体)に剞めば嵒(やま)の如く動かず。
真言宗総本山金剛峯寺が焔煆に燃えようと「寺」に真理の圜礙(こだわり)在らず膏を塗って更に燃やす。
鄙懐に感けた仏法の堕ち簸れ微塵も無し。
悉多(心)一切無く金剛不壊とすれば根本四苦「生」「老」「病」「死」の煩悩も消え失せる。
金・権力・名声などと婬けたことに現を吐かす事無し。
「救い」を冀めぬ衆生は「仏」に縁無きとし慈悲施すことも無し。
因業輪廻にて産れた有情(生きとし生けるもの)全て「悟る」まで丐辣(苦しみ)続く掟め也。
抛ることも救うことも慈。
圓(生)陰(死)関わらず差別(しゃべつ)せず。
圀(くに)を衞るなどの柵非ずんば仏は死なず。
寺を護るために居ず。
幾く万もの蛆集りな躯在れど鼻根無く臭うこと無し。
救いを冀めねば慈悲施すこと無し。
此れ真言宗の基礎である。
さて今回は縁者が瞋蘊(怨む魂)となり禍を起こす話しである。
能く人を「忘れる動物である」と謂われておるが、何代も前の身内の公に出来無い酷死を匿す余り忘れてしまうケースが多い。
死に方は様々であるが、其の旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)、憊汨(悲しみ)は縁者に矛先を向け心身に重篤な瑕苦(痛み)を齎す。
不幸にして掵薨った亡者にとって雍念の中にも消されてしまえば「身内からも捨てられた」と瞋恚(いかり)滾らすのは当然。
恐らく墓は無縁墓地の有様。
其の旡蹙(恨み)で最悪なものは横死(不意の死)に至らしめ、其れが一人では無く一族全てに降り掛かる。
此のような性質の獰い瞋蘊(怨む魂)と化した場合は退魔専門の真言密教僧に相談するしか無い。
何故なら縁者一匹の瞋蘊(怨む魂)では無く無数の瞋蘊(怨む魂)を惹き込んでおるからだ。
忘れて良いものなど無い。
「忘れる」こと即ち法謗罪の「仏の説かれた仏道を謗る行いをすること」である。
by 殊慧(しゅすい)