■怨霊に取り憑かれ自死(自殺)した少女!取り憑かれた写真公開■縁無き者救わず【法】四乃四四
2011年 07月 03日
↑↑↑↑↑↑
怨霊に取り憑かれた瞬間の写真。
此の少女は自死(自殺)。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。異蘊(魂)を滅しているが残った恨みが留まっておるのでコピー厳禁。残った旡蹙(恨み)や寇恝(憎しみ)を鎮めるのは其処等の僧侶の役目であるため退魔専門の真言密教僧殊慧はしない。既に10万人が無視した者が死亡しているためだ。
因縁に左右される五蘊(色(形)・受(情け)・想(思い)・行(行い)・識(考え))持たず、六情(喜・怒・哀・楽・愛・悪)持たず、七情(怒・喜・思・憂・悲・恐・驚)持たずれば如何なる不昧にも屈せぬもの也。
光と言う「縁」にて色(かたち)見え、無くなれば色(かたち)失せ、誰も其れ昼と夜と呼び恐れておらん。
故に紕懼(恐れ)も無く、憊汨(悲しみ)も無く、瑕苦(痛み)も無い。
万象の理(ことわり)荼阿赧(体)に剞めば嵒(やま)の如く動かず。
真言宗総本山金剛峯寺が焔煆に燃えようと「寺」に真理の圜礙(こだわり)在らず膏を塗って更に燃やす。
鄙懐に感けた仏法の堕ち簸れ微塵も無し。
悉多(心)一切無く金剛不壊とすれば根本四苦「生」「老」「病」「死」の煩悩も消え失せる。
金・権力・名声などと婬けたことに現を吐かす事無し。
「救い」を冀めぬ衆生は「仏」に縁無きとし慈悲施すことも無し。
因業輪廻にて産れた有情(生きとし生けるもの)全て「悟る」まで丐辣(苦しみ)続く掟め也。
抛ることも救うことも慈。
圓(生)陰(死)関わらず差別(しゃべつ)せず。
圀(くに)を衞るなどの柵非ずんば仏は死なず。
寺を護るために居ず。
幾く万もの蛆集りな躯在れど鼻根無く臭うこと無し。
救いを冀めねば慈悲施すこと無し。
此れ真言宗の基礎である。
さて今回は怨霊に取り憑かれ自死(自殺)した少女の怨霊に憑かれた瞬間の写真を公開する。
約1300年の歴史を持つ日本最古の真言宗では「縁無き者は救わない」。
此れ、怨霊に取り憑かれておっても怨霊から欲(性欲、物欲、名声欲)を満たされ満足する者もおり此方から「怨霊に憑かれておりますよ」と言ったところで聞く耳を持たない。
其のような無駄な刻を使うのであらば菩薩(努力精進を惜しまず修業の道を行く僧)として更なる修行を科した方が賢明。
真言宗の僧侶の基礎中の基礎は『因縁に左右される五蘊(色(形)・受(情け)・想(思い)・行(行い)・識(考え))持たず、六情(喜・怒・哀・楽・愛・悪)持たず、七情(怒・喜・思・憂・悲・恐・驚)持たず』である。
撚って血縁者か否かの「縁」によって悉多(心)動かされること無し。
喩え我が子でも魔障となれば粉砕する。
他宗派は下らん「人道」を棄てられぬ故に怨霊に誑かされる。
死ぬ者は死ぬ。
ただ其れだけの事。
by 殊慧(しゅすい)