■名指しシリーズ)取り憑かれた瞬間写真!何度も多くの人死にを出した大阪城■大阪が巨大な墓【死】四乃四四
2011年 01月 17日
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怨霊に取り憑かれた瞬間の写真。
男性の左首から白い顔の子の怨霊、其の横の女性の顔が消えている。
又、其処には存在しない地蔵の首が浮ぶ。写真左側。
この二人は近いうちに死ぬ。
「救い」を求めぬ限り真言密教僧殊慧は放置!
死ぬ者は死ぬ。
只それだけ。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!
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問題の写真。
この他にも複数の怨霊が居る。
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大阪城の中にある教育塔の壁に憑く生首怨霊。
この部分を触れば祟る。
恐らくは死ぬだろうね。
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背後の森に浮ぶ生首。
此処で自死(自殺)した者である。
死の連鎖は止らない。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!
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問題の写真。
この他にも多くの怨霊が居る。
大阪城付近の住民は怨霊激増により悉く死ぬであろう。
※殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!
三四四年前、徳川家康が江戸に幕府を開いてから五十八年……等と下らん講釈が入る寺、神社、教会の全てが贋物である。
神仏の力が無いため開宗時期や政党やら学校を作り、また金さえ積めばカスでも成れる名誉博士を冀める。
歴史が在っても、お脳が無い。
金や狂人信者の獲得を競い合い中身など塵同然。
そして徳も無いから怨霊が巣食う。
金・権力・名声に圜礙(こだわり)て怨霊の相(かたち)も解らず、役にも立たない呻きに近い経や祝詞を上げ確りと帑に小銭と怨霊を溜め込むばかり。
故に観光名所と言う神仏を侮蔑する『名』しか無い。
能無しだから数千万匹の怨霊が取り憑いた器(もの)を祓うこと出来ず。
さて今回は大阪城の話しである。
場所は言わなくても解るため敢えて言う必要は無い。
件の城であるが「城」になる前は何であったのか他県の方に知られていない。
抑も大阪城は浄土真宗「石山本願寺」の跡地を其のまま利用して建てられたものである。
此のことについて触れるが、石山本願寺の起源機嫌は明応5年(1496)本願寺八世法主蓮如が山科本願寺の別院として大坂御坊を建立である。
戦国武将「細川晴元」等の攻撃に備えたため堀・塀・土塁で固め次第に要塞と化したのである。
そして元亀元年(1570)~11年に及ぶ長い戦い「石川合戦」で織田信長の天下統一に武力で抵抗した石山本願寺は石山合戦と歴史に残るように僧侶であれ悉く殺され、天正8年(1580)に顕如を本願寺から退去させる。
此れが大阪城の起源。
其の後に夏の陣などで多数の死者を出す。
太平洋戦争では「歴史的価値無し」として絨緞爆撃に何度も合い殆どが焼失。
故に大阪其の物が巨大な墓なのである。
怨霊激増の昨今、そらぁ~大阪は此れまでに無い人死にがでるわな!
by 殊慧(しゅすい)