慧光童子と文殊菩薩、九頭龍の梵字の痣を持つ真言密教僧殊慧。徳を積むべく無料で退魔を行っておる。退魔希望者は非公開コメントにてアドレスと名前を書くべし。


by shino11yoshi
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■名指しシリーズ)源頼朝の馬で無く暗殺された良子内親王が埋められている葦毛塚■祟る【不】四乃四四

 
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 葦毛塚の場所に埋められている良子内親王(第67代後朱雀天皇第1皇女)の怨霊。
 既に碑の顔は悪鬼と化しているため非常に危険。
 子が近くに写っていることから身篭っていたことが解る。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!
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 同じ塚を飛ぶ人魂。
 影を見れば解るであろうが、影より手前に光体(自ら光る)が移動。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!

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 問題の写真。
 赤い矢印に上記の怨霊が写っておる。
 此の他にも怨霊が数対写っている。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!



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 案内板に相(すがた)を現す良子内親王の怨霊。
 腹に右手を当てておる。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!

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 問題の案内板の写真。
 既に良子内親王の怨霊見えるだろう。
 此れは撮影者へ知って欲しいため違うアングルからの写真にも写るのである。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!




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 木に憑き叫ぶ良子内親王。
 口が裂けており言っていることは旡蹙(恨み)と寇恝(憎しみ)の言葉だけ。
 仏の声すら聞かない。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!
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 別な木に浮ぶ少年の生首怨霊。
 良子内親王とは無縁。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!

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 問題の写真。
 赤い矢印に上記の怨霊が写っている。
 其の他にも子の生首怨霊が数十匹写って居る。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!














 三四四年前、徳川家康が江戸に幕府を開いてから五十八年……等と下らん講釈が入る寺、神社、教会の全てが贋物である。
 神仏の力が無いため開宗時期や政党やら学校を作り、また金さえ積めばカスでも成れる名誉博士を冀める。
 歴史が在っても、お脳が無い。
 金や狂人信者の獲得を競い合い中身など塵同然。
 そして徳も無いから怨霊が巣食う。
 金・権力・名声に圜礙(こだわり)て怨霊の相(かたち)も解らず、役にも立たない呻きに近い経や祝詞を上げ確りと帑に小銭と怨霊を溜め込むばかり。
 故に観光名所と言う神仏を侮蔑する『名』しか無い。
 能無しだから数千万匹の怨霊が取り憑いた器(もの)を祓うこと出来ず。



 さて今回は曰く因縁の強い東京都にある葦毛塚の話しである。
 場所は目黒区上目黒5丁目。蛇崩交差点から五本木方面に向かう道の真ん中に存在。
 葦毛塚の案内板には要約すると『源頼朝が葦毛の馬に乗り、此の地を通った時に件の馬が何かに驚いて沢に落ちて死んだ為に塚ろ建てた』とある。
 然し、此の場所に馬は埋まっていない。
 江戸期に「目黒筋御場絵図」と纏められた地図によると鷹狩場。
 平安時代末期~鎌倉時代初期の源頼朝の時代は目黒不動尊、目赤不動尊、目白不動尊、目青不動、目黄不動尊が建立され五色(密教の陰陽五行)不動として行者が結界を張った。
 此処で言う行者は平安時代に活躍した小角後である。
 『魑魅魍魎跋扈を恐れた』時代に其のような場所で源頼朝が馬で走ることは無い。
 退魔専門の真言密教僧殊慧は此処に埋められている者は女性であると断言する。
 其の女性は暗殺された良子内親王だ。
 どうも身篭っていたようである。
 平安時代は暗殺が日常的に行われていたことからも解る。
 葦毛塚は葦津江郷の「葦」と「毛」は女性から付けられた。
 後ちに江戸城の築城にも携った室町時代の密法を使う太田道灌が結界を張り直したが骸を退かさなかったため不完全で既に結界は消えている。
 因みに太田道灌の宗派は教えない。





 まぁ~現代も平安時代も大して変わらんわ!




by 殊慧(しゅすい)


 

 
 
 
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by shino11yoshi | 2011-01-14 17:14 | △名指しシリーズで晒し首ポン