慧光童子と文殊菩薩、九頭龍の梵字の痣を持つ真言密教僧殊慧。徳を積むべく無料で退魔を行っておる。退魔希望者は非公開コメントにてアドレスと名前を書くべし。


by shino11yoshi
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■曰く因縁が無くても怨霊は棲み憑く!人が己の傲慢にて境界線を広げた所為で■守る術を持て【普】四乃四四


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 陸橋の前にいる二匹の怨霊。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!
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 その全体写真。
 二点透視法でどれだけ怨霊が巨大であるか解るだろう。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!



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 橋の下に棲み憑く怨霊。
 時々足を掴むなどのイタズラをする。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!
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 その全体写真。
 既に橋桁に憑いているのが見える。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!



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 道路脇の木に憑く怨霊。
 時々人を脅かすようであるが心身を蝕ませる害を起さない。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!
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 その全体写真。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!




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 ドブ川に憑く怨霊達。
 こんな汚い場所で遊ぶバカはいまい。
 雨風凌げる廃屋や民家の軒下に取り憑けば良いものを怨霊もその辺を気遣ってるように思えるだろう。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!
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 その全体写真。
殊慧ブログでは特殊な結界を張っているため見る分には祟りは無い。コピペ厳禁!










 此の世凡て五悪趣(地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の顛倒の世界)に在りて衆生の物に非ず。
 癲癡にては「人が此の地の長」と申すが甚だ頗しきこと也。
 万物平等にて差別(しゃべつ)無し。
 阿呆は誡められたる魔豸に跫囂しく立て踏み、莫伽は誡められたる魔豸に廈を建てし。
 祟られるは因果応報と知れ。



 さて今回は如何に怨霊が其処彼処に居るかの話しである。
 此処で言う怨霊とは闕蘊(彷う魂)であり、何もせねば「祟る」ことの無いことを差す。
 根本を理解して貰うべく古代史に触れる。
 さてさて太古の「町」は水辺に築かれた思っておる方も多いであろうが其れは間違いである。
 水辺近辺には病原菌を持つ虫が居り、また怨霊も居る故に山間に近い猗道にて町は築かれたからである。
 そのことは現在見られる遺跡群を見れば解るであろう。
 では何故?なのかを説明しよう。
 宗教の原点である原始宗教(民族宗教・自然宗教)の観念はアニミズム、つまり魂(アニマ)が有情(生きとし生けるもの)、無情(無生物)に存在するとされ崇拝していた。
 故に圓(生)・陰(死)が刳り返される水辺は古代人にとって尤も禁忌な場所であり、技術があれば河から遠くまで水路を寰き、無ければ毎朝水を甕に入れて運んだのである。
 後者に於いては焼き物が発達。
 若しくは木を抉り削る道具が発達した。
 然し、近代社会で宗教は創唱宗教(勧誘する宗教)、密議宗教(ある特定の者だけが法を得る)に分かれアニミズムは雍ぐ結果となってしまったのである。
 その為に異蘊(魂)より神仏に比重が置かれ、街に対する考えは一変した。
 神仏を持たぬ宗教は当然乍がら論外である。
 故に闕蘊(彷う魂)の棲む場所と人の棲む場所の境界線は、癲慢な人の一方的志向により紊攫われ「障り」や「祟り」を受ける結果となった次第。
 退魔専門の真言密教僧殊慧は依頼以外の闕蘊は滅さない。
 それが真の平等相であるからだ。
 此の地は人のみのもの為らず。
 人奢るなかれ。
 その無癡さから多くの生物が死に絶えたことを省みよ。
 驕り続ければ人類の絶滅から免れぬ。

 



 アホカスクズは己の得になるものを「善」と呼び、得にならぬものを「悪」と呼ぶ。
 これ思已業(二元に分ける心の弱さ)にて己の無力を晒す愚である。






by 殊慧(しゅすい)
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by shino11yoshi | 2010-08-25 17:11 | ▼怨霊写真満載で且つ密教講座